思いつきコラム
『過去に戻れたら…』 9月11日
今日(っていうか今さっき)かわった映画を見た。「Back to the JFK」という映画なのだが、これがまた過去に戻ってケネディ大統領を助け、ベトナム戦争を止めさせよう。そしてベトナム戦争で死んだ主人公の兄さんを助けようって言う、「Back to the Future」をほとんどぱくっただけの映画だった。しかし後者よりも前者の方が遥かにリアルで、いろいろ考えさせられたように思う。誰にだって思い出したくない嫌な思い出、辛い思い出を持ったまま今を過ごしている。そんな現実から過去に戻って歴史を変える。そして現在の自分の人生を大えたい。頭の中ではきっと素晴らしい、自分の理想通りの世界になっているはずなのに・・・実際に変えてみると現実よりももっと不幸なことになっている。この映画で主人公はケネディ大統領暗殺の容疑者としてFBIにつかまり、結局殺されてしまう。その事実を過去で発行された新聞によって知った仲間(恋人とタイムマシンを開発した博士)は自ら同じ過去に戻り主人公の計画を止めさせた。過去を変えるなんて愚かな事だった。人間には自然の摂理に従うしか方法がない。結局主人公は無事に現在へ戻り、歴史は今まで通りに戻った。
もし今から自分が過去へ戻って、現在、未来を変える事ができるのなら・・・こんな夢物語を考えるほど私は若くないが、もしできるなら・・・私は中学校に戻りたい。そう、私が音楽を始めたあの日に・・・
当時私は12才。才能溢れる元気な中学生でした・・・って言いたいところだが、これがなかなかどうして、結構なヤンチャ坊主らしい(当時の先生に直接聞いたから間違いない)。いろんな先輩に迷惑をかけていたらしく、問題児扱いをされていたらしい。楽器も始めたばっかりではあるが、ド下手で、元気よく吹いているのが唯一の救いやったらしいです。男が自分だけだったのが原因かもしれないが、自分の記憶でも確かに迷惑をかけていたような気がする。自分がヘタクソって事に気が付いていないかなりやっかいな奴やったと今では思う。だってテナーやもんなぁ〜当時は・・・
さて本題に入ってその当時に戻ったらまず何をするか。初めは本人に会って一発殴る!!ヤンチャ坊主のひん曲がった根性を叩きなおしますね、まずは。それからこれから自分に起こる出来事を出来るだけ伝える。もっと勉強しろとか練習しろとか、テストはこんなんが出るぞとか・・・どうせこんな事言っても当時のオレは信じないやろうなァ・・・いきなり「オレは未来から来たお前だ!!貴様の根性を叩き直してやる!!」って言われても当時のオレやったら「はぁ?」の一言やろな・・・やっぱりやめとこ。
ところで過去を変えられても、現実に戻ってきた自分その物って変るんやろか?過去が変るってことはそこからの過程も変る事。結局は現在も変ってしまう。でも自分はそのままのはず。みんなが知っている当たり前の事を自分だけが知らない事もありうる。これでは自分一人だけが孤立してしまうやんけ!!結局過去を変えてもなんも特なんか何一つしないってことやね。
映画のはなしに戻るが、主人公が過去から現在に戻る前に、死んでしまった兄に会いたいと言って、少しだけ会いに言った。そこでは自分(主人公の当時)が危篤状態であった。当時の自分と未来から来た自分。同じ生命体が同時に二つ存在する事はやはり不可能であったためだ。そこで弟の死の接近を知った兄は家族をなくす事がどれほど哀しい事かを知り、ベトナム戦争へ行く事を止めたのであった。現実に戻った主人公は現在では死んでいるはずの兄が生きている事を知り、喜びに溢れ、映画は幕を閉じる。過去を変える事は確かに愚かな事だ。過去も、現在も、未来も、誰一人として変える事はできない宿命なのだ。神のみが可能な事を人間はやろうとする。だからさらに不幸が起こるのだ。でも少しぐらいなら神様も許してくれる・・・よね?
『名曲とは?』 8月14日
この世の中には数々の曲があるけれども、私が「これぞ!」と思う曲は数少ない。私はそれを『名曲』とよんでいる。他は『いい曲』止まり。『名曲』とまで行かないのがほとんどである。
それには理由がある。私が『名曲』と呼ぶそれらの曲は古くに作られ、数々の団体によって演奏されてきているからだ。すなわちさまざまな演奏団体の指揮者や演奏家などの解釈がふんだんに取り入れられる事によってそれらの曲はさらに磨かれ、よりいい曲に成長しているのである。同じように、古くから作られ、演奏されつづけてきた曲はあるが後はただの好みの問題であろう。
すなわち、少なくとも最近の曲には『名曲』といえるようなものは存在しない!!という事になる。最近は妙に新曲が多く発表されているように感じる。聞いていても(そう言う曲のだいたいが初演なのだが)いいとは思わない。これは『駄作』という意味ではない。もしかすると『いい曲』あるいは『名曲』になるかもしれないが、今はただの『曲』。生まれたばかりの子供のようなものと考えてくれればいい。これから先色々な団体による名演奏によって素晴らしい『曲』になる物もあれば、恵まれず、埋もれてしまう曲もあるだろう。『いい曲』あるいは『名曲』を判断するにはまだ早いのである。
新曲を発表する団体が増えつつある今、それと同時に『いい曲』、『名曲』もまた増えていくと言う事になる。それはそれで嬉しい限りであるが、反対に不安でもある。新曲を発表する事にのみ専念するようなバンドが出現する。要するに新曲を自分(達)の力を示す道具にしてしまいそうな気がしてならない。新曲を演奏するとなれば当然注目もされるし、見に来る、聞きにくる人も当然増えるであろう。しかしそれが目当てで新曲を作るあるいは演奏するのは私は違うと思う。それでは無駄に曲を増やしすぎて混乱を招くだけだ。もっと質のいい曲を選び演奏するのもそのバンドのもっている力の1つだと思う。変に新しい事に挑戦しなくてもいい曲はこの世の中に一杯あるし、埋もれてしまっている曲を掘り起こすのも1つの方法だと思う。演奏する曲がなくて困るほど曲なんか少なくないよ。
とはいえ、今はなかなか「名曲」に出会うチャンスが少ない。自分の悪いクセに1度ぐらい聞いた程度では曲の良し悪しの判断がつかないのが多い。周りの人間は『これはいい曲!!』と言って薦めるがどうもピンとこない。したがって数少ないというは気のせいであって、もしかしたら『名曲』はもう聞いたことがあるのかもしれない。今私が見とめる『名曲』は4つ!!誰か『名曲』知りませんか?教えて下さい!!
『OBバンド』(4月7日)
ついこの間、OBバンドの本番があった。久々に会う先輩や後輩、全然知らない人(OBと言っても私の先生が歴任した高校のOBのひともいる。)などが土日にある場所に集まって年がいもなくコツコツ真面目に練習している。そんな姿は一種異様であった。今思えば変わった風景だった。そんな中私もコツコツやっていたのだ・・・恐ろしい・・
でもちょっと懐かしい感じもする。一昔前、こんな先輩たちと一緒に練習した若かりし頃を思い出す。かつてメチャメチャうまかった先輩が、ブランクのせいか、私(は現役バリバリ)のほうがうまくなっていて、『教えて〜』と泣きそうになりながら聞いて来たり、怖くて話せなかった先輩と仲良く話せたりまする。何よりもあの先生(実名はふせる)と気楽に話せるなんて当時では考えられなかった。いっつもビクビクしながら楽譜を持って聞きに行ったもんだった。あれは怖いよ。合奏もエライお気楽ムードでこれまた当時では考えられない事だ。当時はもう合奏中のあの緊張感(恐怖感)が嫌でいやでたまらんかったけど、今では楽しい一時だ。余り時間もなかったのに結構むずかしい曲を先生が選んだりするところは昔と変わっていなかったけど・・・
OBになって始めて先生や他のOBの先輩の色々な苦労という物を知った。今までは曲の練習だけでせいいいっぱいやったけど、OBすなわち大人になって先生がするべき仕事(指揮)を肌で感じるようになった。厳しくしていたのはなんのためか・・・社会に出たらもうそんな事を教えてくれる人なんていない。信じるのは自分自身。今(高校生)のうちに勉強しておく事はたくさんある。これもその一部なんだ。そんな事を知ったような気がする。確かに大学になってあんな厳しさ、辛さはほとんどなくなった。そのせいか、自分も腐りかけた時期があった。自分はあの厳しさ、辛さの中だったからこそ腐らず、強くなれたんだ。そんな気がする。だから先生とできない日々がつらく、そして寂しいかった。これからあるかどうかはわからないがまた機会があればぜひやりたい。そんな厳しい先生の指揮だからこそ・・・
『生涯現役』(12月31日)
クラッシック界の大巨匠、朝比奈隆氏が12月29日午後10時36分、老衰のためこの世を去った。享年93才。現役の指揮者では世界最高年齢であった。
自分がこのニュースを知ったのは昨日のの午後11時ごろ。あまりにも突然すぎて、店の中で客がいる中、おもいっきり「え〜!!!」ッと叫んでしまった。あと2・3年は頑張るやろうって・・・いやいや、これからもずっと現役バリバリでやっていくんちゃうん?っていうぐらいの人であった。年齢を感じさせない先生の存在感はすごかった。なにせ半世紀以上も指揮棒振っててんからな・・・そりゃすごいよ。先生にも色々得意なジャンル(作曲者)があるみたいで、ブルックナーやベートーベンがそうらしい。晩年はチャイコフスキーなんかにも興味を持ち出したようだ。晩年って言ったらだいたい80とかぐらいやろ?80やで?オレまだ22才やで?どこまで頑張るつもりやねん。
かく言う私は11年です・・・なんか今まで11年ってちょっと自慢してたけど朝比奈先生に比べたらまだまだひよっこやねんなぁ〜って思う。11年やっててなんかあんまりたいした事できてへんなぁ〜。ところで先生は50年ぐらいでどれだけのことができたんだろうか?
少なくとも今ある大阪フィルハーモニー交響楽団を創ったっていう業績がある。その他にも色々な楽団を結成して、それが今も日本のトップクラスの活躍を見せている。それだけでもすごい事やけど、もっとすごいのがあの年まで頑張ったってこと。なかなか90超えても自分の仕事に命を賭けられる人間はいないよ。たしたもんだ。まさに「生涯現役」を貫き通したって感じだね。
実は僕も密かに生涯現役を狙ってます。ぼくの夢は将来孫ができて(その間のことは省略します)、孫が大人になって、一緒の一般バンドで一緒の曲を演奏する事。「じいちゃんうまいなぁ〜」なんて言われたらそれこそ天にも昇る気持ち。音楽やっててよかったって思う瞬間やね。それを目指して私も頑張ります。あと何年かかる事やらわかりませんが、頑張ります。夢がかなうその日まで・・・
天国へ行かれた朝比奈先生は天国でも指揮棒を振り回しているのだろうか?天国でも熱くベートーベンを語っているのであろうか?そんな姿を拝見できたらいいな・・・いや、絶対にやってる。亡くなっても朝比奈隆は朝比奈隆でありつづけて欲しいし、ありつづけるでしょう。朝比奈隆氏の御冥福をお祈り致しております。
『遺書』
遅れながら、定期演奏会お疲れさんでした。本当は定演の終わったあとに一人ずつメッセージを書いてあげようと思っていたのですが思った以上に忙しく、その時間が作れませんでした。だから『遺書』と題しましてこの場を借りてみなさんへ最後のメッセージ(えらい人やドラマーとかばけらったとかにはあんまり関係ない)を送りたいと思います。
僕が2年間の合奏を通してみんなに伝えたかったのは『調和』。横文字やとシンクロ。わかりやすくいうと一体感。自分の目の前にある楽譜は自分だけが演奏するんじゃない。周りのみんなと一緒に演奏している。その一部やと思ってほしい。パズルの1ピースみたいなもんやね。だから自分勝手に吹いているとその『調和』は取れないしいい演奏もできない。したがって面白くない。
そうじゃなくて自分が何の役割をしていてどうすればいいのか。考えてそれに当てはまる演奏をする。周りをよく聞いてそれが自然になるように吹く。もし自分の思ったとおリになればそれは非常に嬉しいし、楽しい。これが音楽の楽しさ。これからはもっと周りに敏感になろう。そして考えて考え抜いた答えを合奏で試してみよう。そうすればきっといい演奏家になれる。
しかしながらそれをしようと思ってもなかなかそううまくはいかない。これを読んで試してみたって多分誰もできないでしょう。人生そんなに甘くはない。ではどうすればいいか?・・・答えは簡単。うまい演奏を聞いたり見たりする事。特に見る事。これはぜたいに試してみてください。聞きに行くんじゃなくて見に行く。ここが1番重要。聞きに行くだけやと「あ〜うまいなァ〜・・・」で終わってします。そうじゃなくてじっくり観察する。双眼鏡やオペラグラスで観察する。演奏家がどういう風に演奏しているかとかアンブッシャはどうなっているかとか指はどう動いているかとか、そのへんのテクニックを見て盗む。本人に直接聞けたら儲けもん。色々聞きまくって下さい。相手にうっとうしがられるぐらい聞きまくって下さい。演奏会が終わった後やったらいくら聞いても多分タダやとおもう。普段やとへたしたら金とられるからね。ここぞとばかりに聞きまくってきてそれをしっかりメモする。それから帰ってそれを試してみる。
でもここで注意!!例えうまい人だからといってそれをうのみにすると時々しっぺ返しを食らう事があります。例えば聞いてきた方法が自分にあってなかったりとか。もしそう思ったらさっさと止めて他のやつにする。だから演奏会とかは色々いったほうがいい。色々情報を仕入れて色々試してみてください。これからはコンサートシーズンが始まりますからね。チャンスですよ。どうせ春休みとかは長すぎてヒマになるんやから・・・
まぁ長々と書きましたが皆さんおわかりいただけたかな?これからの練習の一材料として活用していただければこれ幸いです。楽器をやっていて一番悩む事は「どう練習したらええんやろ?」やと思う。私もこれにはずいぶん悩まされました。そこで考えついたのが上に書いた方法。簡単に言うとうまい人の真似をするってことやね。これは僕に一番合っているような気がします。うまい人の演奏を見に言ってそれをパクる。パクって自分のものにする。これを繰り返し頑張ってました。おかげでここまでこれました。皆さんにはもしかしたらもっといい方法があるかもしれません。これが一番と決めつけることなく、自分に一番あった練習方法を探し出してみてもいいかも知れませんね。
音楽やってて曲が吹けないって言うのはなんか淋しいやろ?少しでもいい曲を演奏してその凄さ、そのむずさ、そのカッコよさを体験出来るように頑張って下さい。うまくなろうと思ったら遠慮はしたらあかんで!!!がめついぐらいが丁度いい。周りのもんをどんどん使って自分だけでもうまくなっていって下さい。ちなみに私を利用するのもかまいませんが一時間¥1500円ほどいただきますので御用意しておいて下さい・・・なんてね。
『出会い』10月22日
私は「サンクス」というコンビニエンスストアで夜勤をしている。クラブとか学校とかクラブとかで忙しいので夕方にバイトなんてやってられるか!!ってことで夜勤を選んだ。最初はしんどいかもしれないと思って少々不安ではあってみたが始まってみればなかなかどうして、結構面白いではないの。現在も飽きずに頑張って働いています。
中でも1番楽しいのが『人(客)』と『人(自分)』との対話。この世の中にはまぁいろんな人(客)がいるもんだ。ぱっと見ヤバそうなオッサンがメチャメチャおもろい人だったり、メチャメチャ美人な客がめちゃめちゃ愛想が悪かったり・・・「人は見かけによらない」ってホンマやねってつくづく思う。
今日もいろんな「人」にであった。その中に大昔仲良くしてくれたおっちゃんがいた。大昔っていっても10年ぐらい前かな?いつも僕の家に「読売新聞」の夕刊を持って来てくれていたおっちゃんだ。いつのまにか見なくなっていた。多分クラブで帰ってくるのが遅くなったからだろう。しばらくしてそのおっちゃんは夕刊を配達しなくなった。それからというもの全然会うことなく、今までの時がたった。
『サンクス』へはたまに来ていた。前から僕は気がついていた。でもあっちが気付いていないので話しかけづらかった。「もしかしたら僕のことを覚えていないかも・・・」なぁんて思いながらそのおっちゃんをじっと見つめていた。おっちゃんはいつも決まった物を買って行く。「アンパン」「コーヒー」「(マイルドゼブン)ライト」。今日は僕が休憩中に来たので店から出てきたおっちゃんに勇気を振り絞って話しかけようとしてみた。目と目が合った瞬間おっちゃんから笑顔が出てきた。「お〜、久しぶりやなァ〜。」僕のことを覚えていててくれたようだ。「お久しぶりです」なぁんてちょっと大人ぶって言ってみた。でも僕のことを覚えていてくれて本当に嬉しかった。
年をとると涙腺が緩むって言葉を聞いたことがある。その時ほどその言葉を実感したことがなかった。おっちゃんの笑顔がちょっとゆがんで見えた。「俺もトシとってんなぁ。」どうやら今から配達に行くらしい。夕刊から朝刊へかわっただけのようだった。僕が寝ているとき(たまには起きてる時)におっちゃんは配達に来ていた。そりゃ会う事ないよな。今から10年前でもそのおっちゃんはたいがい年を取っていると感じていた。それが今でも変わらず元気で頑張っている。この10年間がほんの少しの時間であったかのように・・・オレも「としとったなァ〜」なんて言ったらおっちゃんに悪いな。これからは慎もう。
今日このおっちゃんに出会ってもう一つ大切な『出会い』を思い出した。去年の今頃・・・そう、私の誕生日の時に出会ったあるオバちゃんだ。その時私は事情があって私は少々滅入っていました。誕生日を祝ってもらうほどハッピーな気分ではなかったので、学校を休んで一人部屋でねっころがっていた。その時ふとどこかへ行きたくなった。いわゆる『センチメンタルジャーニー』ってやつだ。どこへ行こうか・・・その辺の公園はちょっと嫌だ。もうちょっと遠くへ・・・「法隆寺」にしよう。あそこへは実は行った事がない。チャリだと多分2・30分で着くはずだ。これぐらいがちょうどいい。
地図は見ないで行った。見たら面白くない。ちょっとした『冒険』のつもりで行った。だいたいの方向はわかっている。西名阪自動車道の「法隆寺IC」の近くにあるはずだ。心だウキウキしてきた。こんな誕生日は初めてだ。誰からもお祝いを貰わず、自分で考えた自分だけの『誕生パーティー』だ。多分世界中どこを探してもこんな「誕生パーティー」を体験したやつなんていないだろう。いざ法隆寺!!!
ところがどっこい、なかなかそれらしい建物が見つからない。「法隆寺・・・M」という看板は見つかるんだが肝心の建物が見当らない。かれこれ1時間ほどチャリでウロウロしていた。これはもう人に聞くしか方法はないな・・・ついにこの『冒険』の負けを認めた。そしたら「この道まっすぐ行って突き当りを左に曲がったらあるよ」・・・正にその通りであった。聞いた場所からだいたい5分ぐらいであった。それはそれは悔しかった。もう既に法隆寺は閉っていた。でも高い壁の向こうに見える法隆寺五重塔(だと思う)を見れてそれなりに満足して帰った。
帰る途中、お腹がすいてきたので、なにかを食べようと思った。周りを見渡すとなんか居酒屋とか焼肉屋とかしかなかった。あんまり金がなかったけどせっかくの誕生日やし、ちょっと奮発して焼肉でも食うかと思った。どうせやったら小さい店が良いな。あんまり大きかったらうるさそうやし、高そう・・・。そこでおあつらえむきの店があった。
店にはいると誰もいない。のれんは掛かっているが誰もいない。しばらくするとオバちゃんが出てきた。「いらっしゃい」なんかだるそうだ。何を食べようか迷っているあいだに「とりあえず生中ください」と言った。すぐ来るもんだと思っていたが待つ事5分、「お待たせ」・・・待たせ過ぎやろ!!
こっちもあんまり金がないので注文も早く終わってチビチビやっていた。なんか淋しかったのでオバちゃんに話し掛けてみた。「今日僕の誕生日なんッす」「へぇ〜何才になるん?」「21です」。こんな会話でも話しかけたオバちゃんは嬉しそうだった。それからいろんな話しをしてくれた。楽しかった。時間はあっという間に過ぎて行った。
もう帰ろうかと思った時オバちゃんが「ちょっとだけまけたるな」って言ってくれた。たしか50円ぐらいやったと思うけどなんだか妙に嬉しかった。そこで僕は「ほんじゃあ来年の今日にまた来ますね。今度はもっと金を持って・・・」オバちゃんは『待ってるな』っていってくれた。
もうすぐその約束の日だ。オバちゃんは覚えてくれているだろうか?でも僕は覚えている(っていうか思い出した)。もしこの日に何が起こっても僕は絶対にそのオバちゃんの店へ行く。何が起こっても・・・行ったらきっと思い出すだろう。今日のおっちゃんみたいに・・・待っててな、オバちゃん・・・もうすぐ行くで!!
『理想』と『現実』 10月9日
今日私の大好きなプロSAX奏者のリサイタルを見にいった。いわゆるクラッシックSAXを聞いたのは今回が初めてであった。すごかった。とにかく「すごい!」の一言。感想もまず始めは「すごい!」であった。何がすごかったかよくわからないがとにかくすごかったのは記憶に残っている。
どれだけ練習すればあんな演奏ができるのだろうか?・・・これは音楽の世界だけでなくても、例えばスポーツの世界でも、その世界のスペシャリストって一体どんなことをしてきたのか?ということは誰でも思うはずだ。誰でも思うけど誰も解決できない。
私も吹奏楽を始めたころはいろいろ考えた。どうやったらうまくなるのか?どうやったらこの曲ができるようになるのか?どうやったら・・・?先生にも聞いた。嫌いだった先輩にも聞いた。でも誰も解決してくれなかった。とりあえず自分に課せられた課題をこなす日々が続いた。
そんなこんなで私も高校生になりました。秋に担当楽器が変わってしばらくした時、ふと同級生に声をかけられた。「どうやったらそんなに吹けんの?」・・・困った。なんと返していいやら・・・。正直わからなかった。こんな質問を受けたのも初めてなんだから質問を返すのも初めて。そこで考えた。今まで自分はどうやっていままで来たのだろう?・・・わからない。とりあえず課題をこなしてきたからだとしか言いようがなかった。
ではプロの人達はこんな質問になんと答えるだろうか?おそらくではあるが僕が答えた返事と何ら代わらないのではないか?プロになるぐらいだから練習量は半端なもんじゃないけどね。きっと必死の思いで練習したんでしょう。
そこでもう少し掘り下げて聞いてみましょう。「ではプロと同じ練習メニューをすればプロになれるんでしょうか?」これができればプロになれるよ!!って言う教本でもあったら私だって欲しい。教本もいろんなのが出まわっているけど、あんまり私は教本は好きではない。なんかウソ臭いやん。あれを頑張ってこなしていって、はたして本当にプロになれるのであろうか?答えは絶対『NO!!』だ。
そんなぐらいでプロになれたらこの世はプロで溢れかえってプロ価値がなくなっちゃうよ。しかも『これぞプロ!!』ってもんはそんな簡単に手に入らないよ。プロになろうと思うんやったらジミな鍛錬が1番なんやね。
私は吹奏楽歴早くも10年目。今年で年齢がゾロ目になります。10年もSAX吹いててこんなんかいって感じでスね。一応必死になって努力して上手くなったつもりではいますけど・・・でもこの世の中って広いでね。たしか若干12才ぐらいで世界デビューをしているクソガキ・・・失礼、少年がいるそうです。これは一体どう言う事だ?しかも楽器を始めて1年ぐらいときたもんだ。たった1年で世界デビューだと?じゃァオレの10年はどないしてくれんねん。
そこで考えた。プロになれる人っていうのはどんな人か?これはあくまで私の推測なのだが、そう言う人には技術力や表現力などをどんどん吸収して、溜めることができる大きな『器』があるのではないか?私のような素人にはその『器』はすごく小さい物ではないのか?だからどれだけ頑張ってもプロの様になれないのでは?
この事はもしかしたら言ってはいけない事なのかもしれない。ましてや私は指揮者という立場上このような現実的な事を言ってはいけないのかもれない。しかし現実はそうだと思う。私がどんなに頑張ってもプロには絶対なれない。理想は高く持つものではあるがあまりにも高すぎると現実が見えなくなる事だってある。だから私はあえて現実を見ている。現実を見つつ、理想も追いかける。
プロになりたいと思った事は何回もある。でもプロの現実を見てやめようって思ったことだって何回もある。でもなりたい・・・・。プロっていうのはこんな風にして『憧れ』の存在なのかもしれない。大げさに言ってみれば『神の領域』なのかもしれない。一般人がなれそうでなれない、選ばれた人間しかなれない人・・・それが『プロ』なのかもしれない。
今日の演奏会で私は『神』の音を聞いた。時間が経つのを忘れて・・・そのあいだ私は間違いなく『神の領域』にいた。これがプロか・・・オレには無理やな・・・
『神』のリサイタルが終わった。余韻にひたりながら一緒に来た後輩とマクド(ナルド)へ行った。食べたのは「テリヤキバーガーMセット」。理想から現実に戻った瞬間である。おいしく食べながら後輩と話をする。楽しい奴らだ。そんなことを考えながらふと思った。
「オレは絶対こっちの方が似合ってるよな・・・さてと、明日は合奏か・・・・がんばろうかな?」
『記録』と『記憶』 9月27日
さて、いよいよ後期の授業も始まって今日いきなりミラクルブッチをしました・・・だって体が動かないんだもん。これから何回かやってしまうであろうこの過ちはなかなかやめられないもんですね。
今日、とあるHPにこんな事が書いてあった。『記録より記憶に残る演奏を』・・・う〜ん、本当はこんな事をみんなの前で声高らかに言いたいんやけどね・・・実は人々の「記憶に残る演奏」っていうのはそう簡単な事じゃない・・・ほとんどの人が目指す事やけどほとんどの人がなし得ないこと。そんな事よりも『記録に残る』演奏の方が遥かに簡単。コンクールにでて『金賞』ってもんをいただけば3〜4年は少なくとも記録に残る。これは都道府県コンクールに出場する団体の約3割ぐらいは貰える。プロ野球の平均打率よりも高いわけだから結構な割合だ。
しかしそれはあくまで『記録』。『記録』はそのうち忘れられる。しかし人々の『記憶に残る演奏』になるとちょっとやそっとじゃなくならない。下手をすれば一生残るかも知れない。僕にだって『記憶に残る演奏』を聞いたことはある。僕が大好きなT高校の定期演奏会。きょくは「栄光の全てに」。あれはホンマによかった。中学生の時やったと思う。今から七年ぐらい前かな。それでもいまだに記憶に残っている。
その高校自体はそんなに有名ではない(少なくとも奈良県では有名)。でも僕はその高校の定期演奏会が大好きだ。どんな有名バンドの演奏会よりも。実力は全国に比べると全然たいした事はない。でも定期演奏会は全国のどのバンドよりも素晴らしいと思っている。
人々の『記憶に残る演奏』ってものはどうやってできるものなのだろうか?やっぱりいわゆるいい演奏をすればいいのであろうか?確かにT高校の「栄光の全てに」はいい演奏であった。これは事実である。しかしそれだけだったのであろうか?客席の端っこに座ってみていた僕に伝わってきた物はそれだけではないと思う。
その演奏会が終わってT高校の生徒が帰っていく客に対して涙で「ありがとうございました」と言っていた。なかなか客には涙を見せないよ、普通は。それも終わってすぐであるからなおさら見せている場合じゃないはずだ。それなのに・・・あの涙が流せるその高校生は?
演奏が終わってすぐ泣くことができる演奏・・・僕は今までそんな経験はない。終わってしばらくたって泣いた事はある。しかしその演奏会は人々の『記憶に残る演奏』ではなかったと思う。でも泣いた。これはどうしてだろう・・・
人々の「記憶に残る演奏」ができたと思ったからか?それとも2年(当時は)やってこれたからか?・・・多分あの時泣いたのは自分の『記憶に残る演奏』が出来たからだと思う。あの演奏会はきっと一生忘れないだろう・・・憧れの指揮者になれて、別に曲は好きではなかったけど、生まれて初めて自分の指揮で演奏した。
きっと今回の定期演奏会も自分の『記憶に残る演奏』しか出来ないと思う。しょせん自分はこの程度の人間。だったらこれからの人生を変えるぐらいの自分の『記憶に残る演奏』をしてやろうじゃないの。聞いている人々が時間を忘れるぐらい、素晴らしい演奏をしてやろう。
もしそれが出来たら・・・人々の『記憶に残る演奏』になるんじゃぁないかな?